2013/02/14

「汚名返上」の用例はゼロ、汚名は雪ぐもの

※この記事は、はてなブログで公開したものを再掲したものです。この投稿に対するコメントははてなブログでご覧ください。

さきほど、本ブログにて『汚名挽回』という言い方は間違っている、とする主張の根拠が分からないというエントリを公開したところ、思いがけず大きな反響がありました。ふだんは滅多にないコメントを多数いただいたり、Twitterや、はてなブックマークでも話題にのぼっていたようです。こちらからは把握できませんが、Facebookでも参照されているようです。

その多くは、このエントリで提示した疑問に対して否定的な意見でしたが、そうした批判は大きく4つに分類できるようです。以下にその4つを整理します。

  • 「汚名返上」とするのが慣用だから
  • 対になるべき熟語「名誉挽回」と構文の整合性がとれない
  • 四字熟語を単語にばらしたり、構文を解釈してはならない
  • 汚名は与えられるものであり、取りもどすものではない

以上4点の主張には、それぞれに不充分なところがあると考えるので、今回はそれを指摘したいと思いますが、その前に少数意見や些細な論点から見ていこうと思います。

「汚名挽回」を正しいとは証明できていない
このことを直接的に指摘する意見はそれほど多くはありませんでしたが、その他の主張の根底にも共通して横たわっているようですので、まっさきに取りあげます。前回エントリで述べているのは、「汚名挽回」を間違いとする根拠が分からない → 「汚名挽回」を間違いとする根拠がないのではないか → 「汚名挽回」は間違いではないのではないか、ということであって、「汚名挽回」が正しいということではありません。「間違いとはいえない」と「正しい」とはまったく意味が異なります。これをごちゃまぜにするのでは、その後のお話を筋道だって進めることが不可能になりますので、とくに強調しておきたいと思います。
サンプルに偏りがあるのではないか
さきのエントリでは『青空文庫』の収録作品から用例を検索しているので、用例のサンプルが近代文学に偏っているのではないかというご指摘です。これはその通りだと思いますが、前回エントリにおいて意図しているのは、「汚名挽回」を間違いとする主張があまりに流行しているので、その根拠を問いなおすことにあります。であれば、そうした主張が定着する以前から用例を採るべきです。実際、Googleで現在の用例をとっても、ほとんどが「汚名挽回」は間違いである、という前提に立ったものしか採取できないわけです。なお、この点について、昭和18年までの新聞記事から用例を採取された方がいらっしゃるので、のちほど紹介したいと思います。
自分の言いまちがいを認めたくないんだろう
こうした人格攻撃は本当におおく見られるものでした。あるひとは「漱石」の故事を引いています。この故事は、隠者の暮らしを志したひとが「水(かわ)で口をすすぎ、石を枕にしたい」と言うべきところ、誤って「石で口をすすぎ、水を枕にしたい」と言い、それを笑われて「歯をとぎ、耳を洗うためだ」と強弁したというものです。つまり、自分が「汚名挽回」と言いまちがったので、それを認めたくないがために前回エントリを書いたのだろう、と邪推したわけです。こうした論述姿勢には2つの誤りがあります。まずひとつには、前回エントリの冒頭に書いたように、オレ自身は「汚名挽回」という言葉を使ったことがないので、かれがそこに書かれているものをきちんと読んでいないということがあります。もうひとつ、かれの邪推が事実であるとして、エントリの主旨である、「汚名挽回」は誤りであるとはいえない、という見解に対し、なんらの反証になっていないことです。この件にかぎりませんが、論者の資質をうたがったり、嘲笑したりするような行為は、なにも得るものはないので時間と労力の無為に費やすことになります。
なぜなら間違っているからだ
「汚名挽回」は間違いとはいえないのではないか、と論じているときに、「それは間違っている、なぜなら間違っているからだ」とだけ述べるのは、いわゆる同語反復、トートロジーというもので、なにも言っていないのと同じことです。なぜ間違っていると考えられるのか、少なくともそれくらいは提示していただきたいものです。

さて、余談はさておき、上記の主要な4点の主張について、詳細に見ていきましょう。

「汚名返上」とするのが慣用だから

こうした見解は非常におおく見られます。オレ自身も突きつめればこの見解に行きつくのですが、ただし前回エントリで提示されているのは、「汚名挽回」を間違いとする根拠が分からない、根拠がない、ということです。そうした見解に対し、「慣用だから」では反論として成りたたないだけでなく、むしろ「根拠がない」とする前回エントリの主張を補強するものになっています。

また、「汚名挽回」を誤りであるとする主張は、かならず「汚名返上」と言いかえよ、という示唆と対になって語られるものですが、その主張を通すためには「汚名返上」なる言いまわしが、すでに「慣用」として定着している必要があります。はたして、そのような実態はあるのでしょうか。

前回エントリを公開したあと、すでに『青空文庫』を検索して「汚名」の用例をしらべています。その結果はなんとも驚くべきことでした。

「汚名」という語の使用は、89作品に見られました。ところが、「汚名返上」「汚名を返上する」に類する用例は、ゼロです。そのような用例は、あの『青空文庫』の膨大なテキスト群のなか、たったのひとつもありません。さらにいえば、「名誉挽回」の用例も2件しかありません。

これでは、「汚名挽回」「汚名を挽回する」の用例がゼロであるのと、さして違いがありません。したがって、「わざわざ汚名挽回なんて言わなくても、すでに名誉挽回や汚名返上という言葉があるんだからそれを使えばいい」といった見解は、一方に偏ったものであると言うことができます。

よくよく考えてみれば、オレ自身の体験として、「汚名返上」という言いまわしを最初に聞いたのは、「汚名挽回というのは間違いだから、汚名返上と言いかえよう」という主張からでした。さらに疑いを差しはさむなら、「汚名返上」という言いまわしは「汚名挽回」を否定するために新たに作られたのではないか、とすら思えます。

もしかしたら、このような反論があるかもしれません。「たしかに汚名返上という言いまわしは近年新たに作られたものかもしれない。しかし現在ではそれが定着しているのだから、それを使っていけばよいではないか」と。しかし、この言い分を通用させるのであれば、これまで「汚名返上」と読んできた言葉をたとえば「汚名をケチャモゲロ」などと呼ぶことにしたら、今後はそれが正しいことになる、ということを承諾しなければなりません。それだけの覚悟はなされているでしょうか。そこには、歴史性がありません。

対になるべき熟語「名誉挽回」と構文の整合性がとれない

「汚名挽回」というのは、「名誉挽回」と対になるべき熟語であるが、その構文をみると一方は「汚名から挽回する」、もう一方は「名誉を挽回する」という形になり、統一性が失われる。「汚名返上」とすれば、そのような不都合が発生しない。そのような主張であると思います。

こうした意見には一理あると思いますが、それだけでは、「汚名挽回」が間違いであるとする根拠にはなりません。

「汚名挽回」と「名誉挽回」が対になるという想定じたいが、疑わしく思われます。おなじ意味のことを、べつの言いかたで表現しようとしているにすぎませんから、そもそも「対」になる機会がありません。「汚名から挽回する」ことは「名誉を挽回する」ことと同義ですし、巨人・阪神戦なら、「巨人を負かす」ことは「阪神に負ける」ことと同義です。

また、なぜ「汚名から挽回する」と言って「汚名を挽回する」と言わないのか、熟語に好きかってな助詞を挿入するのは恣意ではないのか、という指摘があるかもしれません。

これは、オレが「鹿狩り/鷹狩り」論と呼んでいるものです。「鹿狩り」というのは、「鹿を」狩ることを表している言葉ですが、では「鷹狩り」は鷹を狩っているのでしょうか。そうではなく、「鷹で」狩りをすることを表しているのは明らかです。一見すると、おなじ構文に成りたっているように見えますが、指ししめす意味はまったく違っています。じっさいの構文も違っています。しかし、言葉の見ためからは区別がつきません。その言葉がどのような文脈において現れているか、どちらの意味で言っているのかを推測し、読者がおのおの心のなかで「を」や「で」をおぎなって読んでいるわけです。このことは、四字熟語でもおなじことが言えます。

四字熟語を単語にばらしたり、構文を解釈してはならない

この主張もしばしば見られたものでした。しかし、この主張を認めるべき根拠をあげたひとは、いまだに現れていません。

日本語の熟語は、その多くが漢語に由来するものです。一部の例外をのぞき、漢語や漢文として読むことができるものばかりです。たとえば「山にのぼる」ことを「登山」と言いますが、これはその行為を漢文として「登山」と書いたものを、そのまま日本語に採りいれて再利用しているわけです。日本語の語順にあわせて「山登」と書かず、「登山」と書くのは、漢語に由来していることのなごりです。これは、日本で新たに作られた熟語についても、おなじルールが適用されます(ただし、例外はあります)。

漢語では、外来語など特殊なものをのぞき、字ひとつが、語ひとつになります。字(語)を組みあわせて、新たな言葉を作ることもよく行われます。そうした組みあわせが定着したものを、われわれは「熟語」と呼んでいます。したがって、そのことは反対にいうと、すでに完成された熟語も、分解して1字の単位にひらくことができることを表しています。

字を組みあわせて熟語を作るとき、その組みあわせかたには決まった法則があります。漢語の文法にしたがっているからです。

組みあわせかたには、大きくわけて2つあります。複数の字を組みあわせて、1つの単純な意味を表すもの。複数の字を組みあわせて、複雑な意味を表すものです。前者は省略しますが、後者のやりかたはさらに細かく、いくつかに分類できます。(1)類似の意味をもつ字の組みあわせ、(2)反対の意味をもつ字の組みあわせ、(3)前の字が後の字を修飾する組みあわせ、(4)前の字を主語、後の字を述語とする組みあわせ、(5)前の字を述語、後の字を目的語とする組みあわせ、(6)その他、です。

すべての熟語は、一部の例外をのぞき、このように1字の単位にばらして解釈できるはずです。ですから、それに反対するなら「汚名挽回」「汚名返上」といった熟語が、例外的な組みあわせに依っていることを説明しなければならないでしょう。

汚名は与えられるものであり、取りもどすものではない

さて、上記のとおり四字熟語は2字づつに分解し、さらに1字づつに分解して、漢語としての構文を解釈できることが分かりました。そこで「汚名挽回」とはどのような構文で成りたっているのか、という観点からの批判があります。

この観点からの批判は、すべてが例外なく「汚名とは、汚れた名を表すもの(名詞)である」とする前提にたった主張でした。つまり、さきの分類でいうならば、(3)前の字が後の字を修飾する組みあわせ、とする解釈です。そして、「汚名を被るというのは、汚れた名を与えられることである」と主張します。まっ黒なネームプレートを遠くからぽんと投げつけられるようなイメージでしょうか。

こうした構文解釈は、それ自体、おかしなところはありません。つじつまはとてもよく合っています。

しかし、この解釈は、日本や中国の伝統的な「名誉観」に反しているのではないかと考えます。さきほど「汚名を返上する」に類する用例は、ゼロだと述べました。では、近現代の文豪たちは、汚名を被って原状回復することを、どのような言いかたで呼んでいるのでしょうか。「汚名を雪(すす)ぐ」です。汚名は、挽回するものでも返上するものでもなく、雪ぐもの、というのが文豪たちの認識です。

「汚名を雪ぐ」ということは、汚れを雪ぎおとしたあと、手元に清められた「名」が残るわけです。「名」ごと相手に投げかえしたりはしません。なぜなら、その「名」はもともと自分が持っていたものだからです。

われわれは最初から「名」を持っていて、それが他人の手で「汚」される。それを「汚名」と呼んでいます。さきの分類でいうなら、(5)前の字を述語、後の字を目的語とする組みあわせです。「汚名」は、「名を汚す」という行為、あるいは「名を汚される」という様子をあらわす文として理解できます。そして、名を汚されたから「雪ぐ」。雪がれた「名」は、すでに清められたものとして手元に残しおかれている。そのように理解することができるのではないでしょうか。

そうした名誉観を前提としてみると、「汚名挽回」はそれほど奇怪なものではないとお感じになるかもしれません。自分の「名が汚された」状態になっているので、汚れを雪いで、かつての清らかな状態を取りもどしたい、清らかな名を挽回したい、というわけです。


さて、このように見ていくと、「汚名挽回」という言いまわしは、「汚名を被った状態から原状回復する」という意味で、さほど突飛でおかしなものではないように思われます。むしろ「汚名返上という既存の言葉を使えばいいじゃないか」という主張のほうが、そこで根拠とされている過去の用例がなく、正当性のないことが明らかになりました。

ただし、本ブログでは、「汚名挽回」という言いまわしを推奨するものではありません。このように論争をまねく言葉を使わなくても、「汚名を雪ぐ」と言えばそれで充分だからです。


関連ブログ

前回エントリは、冒頭でふれたように多くの反響がありました。大部分はTwitterはてなブックマークで確認できますが、なかでも労をいとわずブログ記事に起こされた意見は、賛否をこえて一見の価値があります。

「汚名挽回」という日本語は間違いなのかどうか - The Midnight Seminar
北原保雄さんが書かれた『問題な日本語』にも同様の指摘があり、論理的に間違っているとはいえず、誤用とされるなかにも「言葉の乱れ」と「正当な変化」を区別することは難しい、ということが紹介されています。
「汚名挽回」の誤用指摘 - Hachi's diary
「汚名挽回」は誤用である、との指摘がいつごろから現れるかを検証したエントリです。Googleブックスの検索結果によると、1976年ごろからこの指摘が見られるそうです。
「汚名挽回」の誤用指摘 その2 - Hachi's diary
「汚名挽回」「汚名返上」「名誉挽回」「名誉回復」「名誉恢復」の用例を『青空文庫』と『新聞記事文庫』で調べたエントリ。とくに後者は、明治末期から昭和45年までの主要各紙を収録したもので、そのうちデジタル化されている昭和18年までに「汚名返上」の用例がない、「名誉挽回」ですら1~2例しかないという事実は、大きいです。
「汚名挽回」を誤用認定したのは誰か - novtan別館
田中芳樹さんの小説『創竜伝』が、「汚名挽回」を誤用であると書いていて、その読者世代にこうした認識が広まっていったのではないか、と指摘するエントリです。はてなブックマークにも同様の指摘がありました。
Small Steps: 汚名について
巷間に「汚名返上」と呼ばれているものは、過去にこうむった汚名を消しさるものではなく、「汚名返上」という新たなレッテルを貼っているだけである、同様に「名誉挽回」というときも、名誉は挽回されていない、そこには罵声とともに汚名を着せることで挽回を要求する狙いがある、という考察です。

前回エントリに対する反応ではないですが、以下のブログ記事も参考になります。

誤字等の館:汚名挽回
正しい表現とされる「汚名返上」という言いまわしは、「汚名挽回」とは異なる意味で使われているので取りかえがきかない、と指摘する記事です。
「本来」の日本語を捏造する人 - アスペ日記
日本語にかんして「本来はこうである」と主張されるとき、その根拠がでたらめであることが多いとの指摘。このエントリのほか、言葉についてのエントリが多いです。

関連ブログに追加

日本語の誤用と似非科学の類似性
だれかが「これが正しい」と言ったことが、そのまま信じられてしまう現象が、似非科学やスピリチュアルと称されるものに似ている、という指摘です。
汚名挽回 : 疑似科学ニュース
突きつめていけば、けっきょく「みんながそう言わないから」と結論するしかない、と指摘する記事です。

2013/02/10

「汚名挽回」という言い方は間違っている、とする主張の根拠が分からない

※この記事は、はてなブログで公開したものを再掲したものです。この投稿に対するコメントははてなブログでご覧ください。


「汚名挽回」という言い方は間違っている、という指摘をたびたび目にすることがあります。

オレ自身がこの言葉をつかう機会はいままでなかったのですが、他のブログなどでこの言いまわしを使ったところ、コメント欄で「汚名は挽回するものでなく返上するものだから、その言い方は間違っている」と指摘されているという場面にたびたび出くわします。

オレが最初にこうした指摘を見たのは20年くらい以前、朝日新聞*1が出した記者向けのハンドブックでした。しかし、この時点ではあくまでも記者向けに書かれたもので、一般的にそのような指摘をするようなひとは見かけませんでした。テレビのプロ野球ニュースなどでも「汚名挽回」といった言いまわしは多用されていたように記憶しています。

ただ、テレビアニメ『Zガンダム』の登場人物がこの言いまわしを用いたところ、アニメ雑誌『月刊OUT』で批判されていた、という指摘もいただきました。*2

間違いの指摘がいつから始まり、それがどのように広まっていったかはよく分かりませんが、オレが日常的に目にするようになったのは今世紀に入って以降、おもにインターネット上でのことです。

最近になって、間違いの指摘を目にするようになったということは、それ以前に「汚名挽回」という言いまわしが少なかったか、あるいは以前から「汚名挽回」という言いまわしはされていたけども間違いだと考えるひとが少なかったか、そのどちらかだと考えられます。


過去の用例を調べるのに、いちばん簡単な方法の一つは、『青空文庫』で近現代文学の用例を調べることだろうと思います。

以下、Googleで『青空文庫』を検索した結果を示します。現時点で「挽回」は50件の該当がありました(坂本龍馬「船中八策」はなぜか2つのページがあったので除外しています)。

坂本竜馬船中八策苟(いやしく)も此数策を断行せば、皇運を挽回し、国勢を拡張し、万国と並立するも亦敢て難(かた)しとせず。
内村鑑三デンマルク国の話自由宗教より来る熱誠と忍耐と、これに加うるに大樅(おおもみ)、小樅(こもみ)の不思議なる能力(ちから)とによりて、彼らの荒れたる国を挽回(ばんかい)したのであります。
横光利一静かなる羅列SとQとの二城の争闘が根絶されたときには、天下は再び王朝の勢力を挽回した。
服部之総新撰組公武合体派を抑制しつつ一挙「鎌倉以前の大御代を挽回」するというのが、寺田屋に憤死した「浪士」派の、粒々半カ年にわたる工作の荒筋だった。
坂口安吾訣れも愉し老婦人は私の訪れによつて幾分勇気を挽回したらしい。
永井荷風上野俳優沢村氏新戯場ヲ開カントシテ未ダ成ラズ。故ニ温泉場ヲ開イテ以テ仲街ノ衰勢ヲ挽回セントスル也。
豊島与志雄父の形見その頃君の父は、土地の思惑売買に失敗し、更に家運挽回のための相場に失敗し、広い邸宅を去って、上野公園横の小さな借家に移り住んでいた。
長塚節商機彼の一家は以前から衰頽に傾いて居た。此の家運を挽回しようといふ希望は常に彼の心を往來して居た。
福沢諭吉徳育如何しかのみならず論者が、今の世態の、一時、己(おの)が意に適せずして局部に不便利なるを発見し、その罪をひとり学校の教育に帰(き)して喋々(ちょうちょう)するは、はたしてその教育をもって世態を挽回するに足るべしと信ずるか。
小栗虫太郎一週一夜物語つまり、四十碼(ヤード)スクラムからスリークォーター・パスになって、それを、私がカットして好蹴(キック)をタッチに蹴出す。一挙これじゃ、三十碼(ヤード)挽回ね
斎藤茂吉双葉山これは確に双葉が自己の悪い体勢を挽回せんが為にやつたものとのみ考へられる。
辻潤錯覚した小宇宙自分は今日の十中八九までの日本の不幸な現状は所請欧米の文明を盲目滅法に模倣した結果だと考えている。今に至ってはとうてい挽回の道もなさそうだが、一応忠告だけはして置きたい。
太宰治善蔵を思うこれでよし、いまからでも名誉挽回が出来るかも知れぬ、と私は素直に喜んでいた。
宮本百合子平和への荷役軍人としてさえ恥を知らないジェスチュアによって東條の人気を挽回することで、その努力の一歩前進させることを期待したファシズム勢力があることこそ、わたしたちの警戒しなければならない最大の危険である。
中島敦斗南先生もし我をして絶大の果断、絶大の力量、絶大の抱負あらしめば、我は進んで支那民族分割の運命を挽回(ばんかい)せんのみ。
与謝野晶子私の貞操観父が株券などに手を出して一時は危くなった家産を旧(もと)通りに挽回(ばんかい)することの出来たのも、大抵自分が十代から二十歳(はたち)の初へかけての気苦労の結果であった。
森鴎外かのように無論この多数の外に立って、現今の頽勢(たいせい)を挽回(ばんかい)しようとしている人はある。
水野仙子醉ひたる商人かうした心掛に立脚した、家運の挽回といふ常に止む事のない念は、みじめな目に遇ふ程煽りたてられ、艱難が烈しければ烈しい程強いものになつて、三十年の年月をまつ黒になつて燃えつゞけた。
原勝郎東山時代における一縉紳の生活荘園制度の持ち切れないものなること、頽勢の挽回し難きものなることは、この征伐の不成功によっていよいよ明白になった。
正岡子規俳人蕪村和歌は万葉以来、新古今以来、一時代を経(ふ)るごとに一段の堕落をなしたるもの、真淵(まぶち)出でわずかにこれを挽回したり。
福沢諭吉日本男子論また人の口にし耳にするを好まざる所のものなれば、ややもすれば不知不識(しらずしらず)の際にその習俗を成しやすく、一世を過ぎ二世を経(ふ)るのその間には、習俗遂にあたかもその時代の人の性となり、また挽回すべからざるに至るべし。
エドガー・アラン・ポー 佐々木直次郎訳モルグ街の殺人事件実際に名家の出であったがいろいろ不運な出来事のために貧乏になり、そのために気力もくじけて、世間に出て活動したり、財産を挽回(ばんかい)しようとする元気もなくしてしまった。
堀辰雄花を持てる女小さな骨董(こっとう)屋をはじめた。が、それも年々思わしくなくなる一方で、もう米次郎には挽回の策のほどこしようもなく、とうとう愛宕下(あたごした)の裏店(うらだな)に退いて、余生を佗(わ)びしく過ごす人になってしまった。
徳田秋声縮図四十過ぎての蹉跌(さてつ)を挽回(ばんかい)することは、事実そうたやすいことでもなかったし、双鬢(そうびん)に白いものがちかちかするこの年になっては、どこへ行っても使ってくれ手はなかった。
芥川龍之介木曾義仲論然れ共、入道相国の剛腸は猶猛然として将に仆れむとする平氏政府を挽回せむと欲したり。
清水紫琴誰が罪しかるに天下一人の、これが頽(くづれ)を挽回するの策を講ずるなし、かへつてこの気運を煽動し、人才登用を名として、為に門戸を啓き、名望あるの士を迎へて啗(くら)はしむるに黄金をもつてし、籠絡して自家の藩籬に入れ、もつて使嗾に供せんと欲す。
海野十三十八時の音楽浴うむ、昨日の予定違いを、今日のうちに挽回しておかなくちゃ
岡本かの子雛妓郷党の同情が集まり、それほどまでにしなくともということになり、息子の医者の代にはほぼ家運を挽回(ばんかい)するようになった。
宮本百合子便乗の図絵東京裁判という国際的なスポット・ライトに照らされた場面に人の目が集められているこの数年間に、その舞台のかげでさまざまの方法で旧勢力を挽回しようとつとめて、かなりの効果をあげている日本のかくれた軍国主義者の行動に対して、わたしたちは決してお人よしであってはならない。
長谷川時雨渡りきらぬ橋ともあれこれは、我が家の第二の招いた災難になったのだった。母は精神をすりへらして挽回し、積累の情弊を退ぞけたが、根本の利益を目的の株式組織ということをよくのみこまないでいた。
正岡容わが寄席青春録事変後急に漫才を重点的に起用しだしてからこの東西の位置は顛倒(てんとう)しだし、しばらく東京方から挽回しだした
宮本百合子海流将来御許の片腕となって家運挽回をはげむにも今の世の中に小学きりではと思い、私は泣いて行ってくれと申せど、悌二は兄さんには僕の心持がきっと分ってもらえると申して承知しません。
吉川英治私本太平記 黒白帖夜もおそくまで、終日(ひねもす)、人々の意見を徴(ちょう)しては、次の挽回策に、心身のお疲れも忘れているかのようだった。
吉川英治私本太平記 湊川帖それが、尊氏をして、わずか二た月のまに、あのような挽回(ばんかい)をさせたものにございましょう。
徳田秋声東京でもいろいろのことをやって味噌(みそ)をつけて行った父親は、製糸事業で失敗してから、それを挽回(ばんかい)しようとして気を焦燥(あせ)った結果、株でまた手痛くやられた、自分の甥にあたる本家の方の家の始末などにかかっていた。
石原莞爾戦争史大観ファルケンハインは西方に於て頽勢の挽回に努力したが遂に成功しなかった。
菊池寛二千六百年史抄尊皇攘夷の代りに、今や公武合体といふスローガンが尤もらしく振りまはされ、幕府は朝廷を擁して、天下の諸侯に昔日の威を以て臨まうとしてゐる。明らかに、頽勢挽回である。
島崎藤村夜明け前いつまでも大江戸の昔の繁華を忘れかねているような諸有司が、いったん投げ出した政策を復活して、幕府の頽勢(たいせい)を挽回(ばんかい)しうるか、どうかは、半蔵なぞのように下から見上げるものにすら疑問であった。
夏目漱石三四郎不振は事実であるからほかの者も慨嘆するにきまっている。それから、おおぜいいっしょに挽回策(ばんかいさく)を講ずることとなる。
正岡容小説 圓朝もう中日(なかび)はすんでいたが、演らないよりはまし、名誉挽回この機(とき)にありと
夏目漱石坑夫つまらなくなったと思ったら坑夫の同類が出来て、少しく頽勢(たいせい)を挽回(ばんかい)したと云うしだいになる。
永井荷風江戸芸術論しかしてこの衰勢を挽回(ばんかい)せしめたるものは実に役者絵中興の祖と称せらるる勝川春章(かつかわしゅんしょう)なりとす。
内藤鳴雪鳴雪自叙伝世子は将軍の御前を退かれ、それから随行の家老の菅五郎左衛門、鈴木七郎右衛門、なぞに謀られたが、何しろモハヤ時勢の挽回は出来かねる際で、なまじいにこの重任を受けられるるは公私共によろしくないと申立てたので、世子の気性としては多少不本意でもあったろうが、遂にその言に従って辞表を差出された。
吉川英治私本太平記 建武らくがき帖敗戦のつねだ。すでに挽回なき下にありながら、彼らはまだ、主将直義から若御料(千寿王)までが西走して落ちたとも知らされず、早や鎌倉も空(から)っぽとはつゆ覚(さと)らず、なお、むなしい死守を六浦(むつら)街道や武蔵口などのふせぎにかけて、かなしい兵(つわもの)の業(ごう)におめいていたのであった。
リットン・ストレチー 片岡鉄兵訳エリザベスとエセックスもちろん、自分は個人としてできるだけの援助を彼に与えなければならぬが、同時に自分は、彼のような男の権力挽回のために働く義務は、断然帯びていないのである。
宮本百合子獄中への手紙マア土地も整理され、すこし金も出来、これで一安心したから、これからは先のように一つ挽回してやろうという風で焦慮してジタバタしないですむから、四五十円でもかっちりとやってそれで暮して(暮せる由、叔母さん、せっせと小遣帖つけていられる)元はくずさず、やってゆき、自分の勤めも追々事務にうつることが出来る望みがあるという見とおしです。
岸田國士荒天吉日味方の大戦果の陰には、ありありと敵の反攻企図なるものが窺はれ、頽勢挽回に秘策を練り、主力を注ぎつつあることが誰の眼にもうつるやうになつて来た。
島崎藤村夜明け前万一兵端を開き候節は大樹自身出張、万事指揮これあり候わば、皇国の志気挽回(ばんかい)の機会にこれあるべく思し召され候。
国枝史郎剣侠上尾街道の一件以来、あいつ親分に不首尾だものだから、気を腐らせて生地なかったが、そいつを挽回しようてんで、何か彼かたくらんではいるらしい
甲賀三郎支倉事件が、一方から考えると、四囲の形勢が切迫しているので、とても冤罪だと主張して見た所で通りそうもないので、一時逃れに曖昧な事を述べて判官の心中に一片疑惑の念を起さしめ、徐々に形勢の挽回を計ろうと思ったのかも知れない。

「挽囘」の検索結果は4件です。「回」にはいくつかの異体字があるのですが、「囘」以外の該当はないようです。

田中正造公益に有害の鑛業を停止せざる儀に付質問書姑息遷延以て今日に至り、其慘状殆ど挽囘し得べからざるの點に達せしめたり。
長塚節商機店の飾り方とか店を維持して行く方法とかよりも此を土臺に家運を挽囘しようといふのが彼の總べてを支配して居る。
狩野直喜支那研究に就て新聞紙で御承知の通り南方では初め浙江軍が優勢と見えると程なく日本に大將が逃げて來る、北方で張作霖と呉佩孚とが戰つて居つたが何時の間にか馮玉祥が寢還へりをうち、呉佩孚が又頽勢を挽囘せむとし、或は成功するか分らぬと云ふ事が新聞に出てゐる。
アリギエリ・ダンテ 山川丙三郎訳神曲しかるに彼等利慾に迷ひ法王クレメンス四世の意を迎へグエルフィ黨と好みを通じて密かにその頽勢を挽囘するに力めたり

「汚名挽回(汚名を挽回する)」という言いまわしそのものこそ見られませんが*3、「頽勢を挽回する」という言いまわしが目につきます(9件)。「頽勢」とは「汚名」とおなじく好ましくない状態を指すので、「(好ましくない状態)を挽回する」という表現はべつだん避けられているわけではなく、むしろ多用されているように見えます。

そのほか、「荒れた国を挽回する」「予定違いを挽回する」「蹉跌を挽回する」「事業の失敗を挽回する」などの用例が見えます。

中立的に見える言いまわしも、文脈を精査すれば「(好ましくない状態)を挽回する」といった用法になっているか、あるいはそこからの派生的な用法もしれません。たとえば甲賀三郎『支倉事件』にみえる「形勢の挽回」も、一見すると中立的に見えますが、これも「頽勢を挽回する」から派生した表現のように見えないでしょうか。

こうした文豪らの用法に対し、「頽勢は挽回するものでなく返上するものだ」といった批判は聞かれません。

「汚名挽回」を間違いだと主張するひとの多くは、「汚名を挽回するということは、わざわざ汚名を被ることを求めているようだ」と口をそろえて言います。

しかし、「遅れを取りもどす」という言いまわしに「わざわざ遅れを取りにいっているのだ」だとか、「失地回復」に対して「領地を手放そうとしているのだ」などと考えるひとは、あまり多くないでしょう。とすれば、この言いまわしを間違いとする根拠は不充分であると考えます。

なぜ、「汚名挽回」のときだけ、このように疑問の声が大きくなるのか、不思議に思います。

近現代の文豪の用例からすると、さほど好ましくない表現とも言いがたいように思えます。*4

続きを書きました

「汚名返上」の用例はゼロ、汚名は雪ぐもの

*1:記者ハンドブックというと共同通信のものが定番で、他紙の記者もよく使っているそうです。おそらく共同ハンドブックでも同様の指摘があるのではないでしょうか。

*2:85~86年のアニメだそうです。

*3:なお、「汚名返上」はゼロ、「名誉挽回」は2件でした。

*4:どうしても気になるかたは、ひとまず「汚名から挽回する」の義、と解釈してみてはどうでしょうか?

2013/02/06

島根県奥出雲町のダビデ、ビーナス像が公園に設置されるまでの経緯

さて、読売新聞で報じられたこちらの件。

公園のダビデ像「下着をはかせて」…町民が苦情


 島根県奥出雲町が昨年夏に公園などに設置したダビデ像とビーナス像が、思わぬ問題を引き起こしている。
 町出身者が町に寄贈した大理石製の彫刻で、町は「一流の芸術作品として教育的価値がある」と説明するが、巨大な裸像を目にした町民らは「子どもが怖がる」「教育上ふさわしくない」と町議に苦情。町議会でも取り上げられ、山あいの町で論争が続いている。
 像は、ミケランジェロのダビデ像やミロのビーナス像を模してイタリアの著名な彫刻家エンツォ・パスクイニ氏(故人)が制作。台座部分を除いた高さは約5メートル。同町出身の元建築会社社長、若槻一夫さん(広島市)が購入して、故郷への恩返しのために昨年4月、寄贈した。
 町は「本物の芸術作品を鑑賞できる。ありがたい」と感謝。美術商や若槻さんの意向に沿いながら設置場所を決定。力強いダビデ像は、スポーツ選手が集まる三成運動公園に。愛と美の女神・ビーナス像は、子どもを見守るよう三成公園みなり遊園地に置いた。昨年8月には、若槻さんを招いてお披露目式も行った。
 しかし、約5メートルの裸体。小中学生や家族連れらが訪れる場所であるため、住民らから町議に苦情が寄せられ始めた。「子どもが怖がる」「威圧感がある」「もう少しふさわしい場所に移設して」「(ダビデに)下着をはかせて」などの声があるという。
 昨年9月町議会で町議の1人が問題を指摘。12月町議会では、別の町議が「教育上、ふさわしくない」「『見たくない』『気持ち悪い』という声がある」と訴えた。しかし、町は「本物の芸術品が二つもあり、素晴らしい」「専門家の意見を聞きながら場所を決めた。周辺の景観と合っており、移設は考えていない」と議論は平行線。
 取材に対し、井上勝博町長は「幼い頃から一流の芸術作品に親しむことで、目を養うことができる。感性に訴えかけ、美術教育にも役立つ」と話す。
 約40年前、イタリアでパスクイニ氏の指導を受けた安来市の石彫作家、清水洋一さん(63)は「イタリアやフランスでは、公園に裸体の像があり、小中学生がデッサンしている。奥出雲でも教材として役立てることができるはず」としている。(佐藤祐理)
(2013年2月5日17時48分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130205-OYT1T00029.htm

一読すると、わいせつ論争か、あるいは地域の景観問題のように見えるが、当の町議の塔村俊介さんのブログを見るとそう単純には片づけられないようだ。塔村さんは9月の議会で以下のような質疑をしたようである。*1

問 (…)三成公園にダビデ像、三成遊園地にミロのヴィーナス像が設置された。最終的に場所を決定したのは町長か。
答 はい。
問 教育的見地からどう評価しているのか。
教育長
答 有名な芸術作品であり、感性に訴えかけるもので、教育的に価値のあるものと評価している。
問 保護者や住民からの声は届いてないか。
教育長
答 私には届いていない。

※ 町民は皆さん反対である。この像に千五百万円のお金が出されたことを公式には議会も町民も今日初めて聞いた。また、庁舎建て替えにしても、設計者がもう決まっていることも今日初めて聞いた。法的な手続きは問題ないかもしれないが、議会も町民も、もう決まって後戻りはできない状態で様々なことを知らされる町政ではなく、もっと住民の意見を真摯に聞いていただけるような町政であることを願う。
http://ameblo.jp/tomuramura/entry-11372083949.html

どうやら、塔村さんは町費の不正拠出について疑っているようである。

そこで、この石像が制作され、公園に設置されるまでの経緯を、既知の情報から整理してみると以下のようになる。

著名な彫刻家
読売記事では「著名な彫刻家」とあるが、Googleで検索してもこの一件以外にそれらしい記述はまったく見あたらない。オレには芸術が分からないので、本当に著名な彫刻家でいらっしゃったら失礼きわまりないが、少なくとも日本ではほとんど知られていないようだ。いずれにしても、この石像は、ミケランジェロ作品などのレプリカであって*2、著名な彫刻家の手をわずらわせるようなものではないように思う。
宝塚の前所有者
読売記事では寄贈者であるWさんが直接購入したように読めるが、実際にはいったん宝塚在住の某氏が入手し、Wさんは、有償か無償かはわからないがこの某氏から譲りうけたものである。
寄贈者
石像を寄贈したWさんは奥出雲町出身で、建築会社の元社長である。宝塚の前所有者から譲りうけた石像を、ふるさと奥出雲町に寄贈した。これに並行して、従兄弟・Mさんに感謝行事の計画起案とその実施を依頼している。
記念行事の計画者
MさんはWさんの従兄弟にあたるひとで、大阪府泉佐野市に在住する。Wさんの依頼をうけて、石像設置の感謝行事の計画起案とその実施を担った。読売記事に8月のお披露目式とあるのは、このことを指していると思われる。奥出雲町のご当地演歌を作曲し、W氏とともに日本コロムビアからCDを出している。
町への寄贈
Mさんのブログによると、12年3月7日にはすでに行事の準備が始まっている。読売記事では石像の寄贈があったのは4月としているが、これはおそらく町が正式に受領した日なのであって、実際にはずっと以前からこの寄贈と感謝行事の計画は決まっていたことになるだろう。
石像の設置
Mさんのブログにあるように、高さ5メートルの大理石の像を設置するためには、2メートル四方の土台(コンクリ製か)と、それを設置できる頑丈な土地が必要で、3月時点ではまだ場所は決まっていなかったようである。この石像の設置場所を決めたのは町長の井上勝博さんである。
業者選定と1500万円
場所を選定するにあたり地質調査が、さらに土台の制作、石像の組立設置にもそれぞれ施行業者への発注が必要になるが、その業者選定の過程や、費用算出の根拠が明らかでない。設置には1500万円がかかっている。しかし町民も町議会もそれだけの大金が拠出されていたことを、だれも知らなかった。9月に町議の塔村さんが質問して、はじめて公になった。塔村さんは、そこになにか不正があるのではないかと疑っているようである。

この一件を、わいせつ論争、景観論争とみると、ことの本質を見誤ってしまう可能性がありそうだ。

ダビデ像の銘板

ダビデ像の土台には銘板がはめこまれていて、そのなかで寄贈者・W氏への感謝の言葉がつづられている。*3

ダヴィデ

推定制作年 1501~1504年 大理石復元作品
作者 ミケランジェロ・ヴォナロッティ


我が故郷に思いを寄せて

この高さ5メートルにおよぶ大理石像は、若槻工業株式会社(広島市)の創業者、若槻一夫氏(奥出雲町亀嵩出身)が寄贈されたもので、遠くイタリアの地にて彫刻家エンツォ・パスクィニ氏の手により、長い歳月をかけて制作されました。

ダヴィデはギリシャ神話の中でいくつかの戦いをしてきた神であることから、陸上競技場、野球場、ホッケー場を有する「三成運動公園」の中心で競技するアスリートを見守るために設置したものです。

若槻氏は昭和10年(1935年)に亀嵩の地で、八人兄弟の三男として誕生されました。幼少の頃は病弱であった氏の身を案じた父から「一夫は手に職をつけ生涯困らないよう左官職人になれ」と諭され、中学卒業後左官職人としての人生が始まりました。生まれ故郷で修行の後、昭和32年、21歳の時大志を抱いて単身広島へ。一日も早く一人前の職人になろうと懸命の日々が続き、その後独立開業。70歳を越えふと気持ちにゆとりができた時、改めて若くして他界した父母への思い、故郷への郷愁が心を包みます。若槻氏は自分を育ててくれた故郷に恩返しができればと、これまで町へ多額の寄附や高齢者への贈り物、地元小学生を野球観戦へ招待するなど様々な慈善活動を行っていらっしゃいます。

この像が、故郷の皆様に愛されるよう心から祈ります。

平成24年 7月

寄贈者 若槻一夫
設置者 奥出雲町
http://mypage.okuizumo.ne.jp/my/udgw/2013/02/post-352.html

ふるさと庭園望が丘

「ふるさと庭園望が丘」とは、石像の寄贈者・W氏が、2009年7月、私財を投じて建設した庭園である。3300平米の敷地に、ビーナスをはじめ27体の彫像が設置され、ツツジ1200本や果樹などが植樹されている。

ここに設置されている彫像も、エンツォ・パスクィニ氏の手によるものであることは、ブログ「奥出雲だより」の写真から読みとれる。

寄贈者について

寄贈者・W氏については、こちらのブログでよくまとめられていた。

いやげものとしての慈善活動 - 日記

著名な彫刻家について

彫刻家・パスクイニ氏について、調べているひとがあった。

パスクイニ氏ってどんな人だろう - Hachi's diary

*1:奥出雲町の議事録検索システムでは12年5月の臨時会議までしか閲覧できない。

*2:修正しましたw

*3:公務員の書くような文体ではなく、W氏か、あるいは親しい人物の手になるものだろう。