2013/03/19

自分の娘に性欲のはけ口を求めるサントリーウエルネス広告がキモすぎる

サントリーウエルネスのウェブ広告は、以前から不快に思っていました。

あまりに不快なので、視界に入るたびにむかむかして舌打ちするか、すぐに目をそらしてしまうんですけど、この不快さをみんなと共有してサントリーウエルネスをこの世界から滅ぼしたいので(笑)、ここでいくつか取りあげてみます。

サントリーウエルネスの狡猾なところは、あれだけ煽情的で不快な広告を出しておきながら、販売サイト本体ではきわめて穏当な作りをしている点です。これでは販売サイトを見ても、あの不快な広告を指摘することができません。また、広告という性質のため、見たくないときにはむりやり見せつけられるのに(笑)、画像検索ではなかなか見つけられません。幸いにして(?)、この広告画像を保存してブログ等に転載されているかたがいらっしゃるので、そこから掘りだすことができました。

サントリーウエルネスは、いくつかの取り扱い商品について広告を出していて、その商品にはアンチ・エイジング、滋養強壮、体臭抑制などがあるようです。どの広告でも共通の設定があるようなので、ここではとくに区別はしていません。


さて、ここから、サントリーウエルネスの不快広告を1つずつ取りあげていきます。まずは比較的に穏当なほうから順番に見ていきましょう。

私、どうしちゃったんだろう…
えっ、同じ悩みの女性って多いの?
52歳、同窓会で元彼に会う
たるんだ私
見せたくない…(52歳 女性)
えっ、42歳?子持ちに見えない!
ママになっても、キレイでいたい。でも、毎日、家事や子育てで忙しい。そんな私にぴったりだったんです♪(42歳 女性)
えっ、48歳?カワイイ!
そのハリツヤ、私も欲しい!
えっ、48歳?お母さんだったの?
娘の友達にも驚かれる、このハリツヤ♪(48歳 女性)

まあ、ぜんぜん大丈夫ですよね。よくある疲労対策やアンチ・エイジングの広告です。ぜんぜん平気。女性の不安な気持ちに付けこむところに、すこし嫌らしさは感じますが、まあよく見かけるタイプの広告です。おそらく女性向けの媒体にはこういうやさしいタッチのものを出しているのでしょう。


では、男性向けの広告がどのようなものか、と見てみると…?

え、その歳には見えないわ。最近、人に言われた嬉しい一言です。(38歳 男性)

えーと…。どういうシチュエーションなのかがいまいちよく理解できませんが、初対面(←おそらく)の女性に若く見られたので嬉しいな、ということですね。女性向けの広告が日常的な悩みを取りあげているのに対し、こちらはかなり「非日常」な雰囲気をただよわせています。

「38歳に見えない」というのは、あわよくば(20代とおぼしき)この女性と対等な恋愛関係を築けるかも…というオッサンたちの願望がこめられているように見えます。気のせいでしょうか?

52歳、妻を喜ばせたい!
もう一度取り戻したい、男の自信。(52歳 男性)
52歳「スゴイ!」と妻が…
歳とともに衰えがちな気力と自信。それらを取り戻すきっかけとは?自然がくれたチカラで、いま再び理想の自分自身へ。(52歳 男性)

ずいぶんストレートですね。よくご存じのとおり、「妻を喜ばせる」「男の自信」というのはこの手の広告の常套文句で、性的な能力を指します。なにが「スゴイ!」というのか、言わんとする意味は明らかですね。性的行為でもって妻を満足させたい、そうできるだけの性的能力を取り戻したい、というわけです。

まあ、性欲を向ける対象が妻であるうちはまったく問題ないでしょう。ただ、かの「サントリー」ブランドを背負って、ここまで直接的、あけすけに言えてしまうのか…という衝撃はありましたが。

ここで、この広告の主人公が「52歳 男性」である、という設定が出てきました。この設定はこのあとも続けて使用されます。

52歳「スゴイ!」と妻が…
男の自信、取り戻すきっかけとは?(52歳 男性)

おなじフレーズで主人公も「52歳 男性」ですが、写真が違ってます。この写真の女性が、「52歳 男性」の「妻」なんでしょうか。どうも、そうは見えません。雲行きがあやしくなってきましたよ。

妻を喜ばせたいというのは体のよい言い訳で、じつはもっと若い女性といい関係に持ちこみたい…そういう欲望をオッサンどもに抱かせようとしているように見えます。

50代、男の衰えに朗報!
最近、歳のせいか勢いが鈍りだした…
みなぎる程の男の自信をもう一度、取り戻したい。(52歳 男性)

おや…?おなじ女性の写真なのに「妻」という文字が消えましたね。

妻でないとしたら、主人公とこの女性はどういう関係なのでしょうか。やはり、年齢的に妻ではないように見えます。

性的能力をあらわす言葉づかいが多用されていて、この女性を性欲の対象として見ていることが分かります。

50代、元気すぎて困る。
ここが元気の正念場!
「忙しくても休めない・・・。」年齢は変わらないのに、元気で若々しい人がいるのはなぜ?
アミノ酸がぎゅっと詰まった、伝統の健康食材「黒酢」と、厳選されたブランド品種「にんにく」を1粒にぎゅっと凝縮。しかも1日わずか56円という、うれしい価格であなたの元気を応援します。そのパワーの秘密とは?

お分かりになりますでしょうか。

若い女性の写真が出ていますね。この女性が50代という意味ではありません。

これまで見てきたことから、この女性も、主人公「52歳 男性」の性欲の対象とされていることが分かります。50代のオッサンでも、この食品を食べればこんなに若い女性とお付き合いができますよ、と言ってるわけです。「元気すぎる」というのも、よく使われる性的能力の表現です。

うわー、きもい。

40代。ペコペコして、ヘトヘト?
得意先に、部下に、仕事に振り回されて毎日ぐったり。休みたいのに休めない。そんなあなたを、サントリーは応援します。ひと粒に凝縮された贅沢な元気食材とは?飲んでいる人が驚いた、その元気パワーの秘密とは?

これも同じです。

ここでも若い女性の写真が出ていますが、文章の内容とはまったく関係がないですね。普通に読めば、ここで女性の写真をだす必然性がまったくないわけです。

この手の広告では常套手段ですが、「ヘトヘト」「ぐったり」とは性的な能力が欠けている、ということを暗示しています。

つまり、この食品を食べれば、こうした若い女性とエッチできますよ、と言っているわけです。

文中に「部下」というキーワードが出てきました。この女性がその「部下」なのかもしれません。そうするとこの広告は、部下の女性と肉体的な関係を持つことを、理想的な状況として提示していることになります。

えっ52歳?私の親と一緒?
センスもいいし50代には見えない!(26歳 女性)

26歳の女性が、「52歳 男性」を若々しいと評価している広告ですが、主人公とこの女性はどういう関係なのでしょうか?

「センスもいい」という文句を付けくわえることで、この男女が恋愛関係になりうることを示唆しています(この商品にはセンスを向上させる力はないので、それ以外に、わざわざこの文句を付けたす理由がない)。やはり、ここでも目の前の女性を性欲の対象として見ていることが窺えます。

さて、ここで重要な設定が登場しました。この若い女性が、26歳である、ということです。この設定は、あとでたびたび流用されます。

「52歳 男性」から見ると、「26歳 女性」はほぼ自分の娘と同世代です。このことから、自分の娘と性的関係(!?)を持ちうることに可能性を見いだしています。考えすぎでしょうか? あとで傍証が出てきます。

課長にホレた…
判断が速くて、次々と仕事をこなす課長。素敵、回転の速いひと。(26歳 女性)
上司と恋に落ちる…
素敵、回転の速いひと。50代とは思えないほど頼りになる私の上司。社内の噂では、ある習慣を最近始めたらしい。その習慣の秘密って… (26歳 女性)

はい、これまでの一連の女性たちが、主人公の部下であることが確定しましたね。

表向きの効能書きとしては、この食品を食べると疲労がたまらないから仕事がよくできる…という建前になっていますが、「ホレた」「恋に落ちる」というキーワードを用いて、部下と性的関係を築けるのでは…とオッサンたちに期待を持たせています。

徹夜続きの課長とデート♪
すごい元気…カワイイ!(26歳 女性)

「徹夜」「デート」というキーワードを組みあわせることで、この女性と一晩を明かしたことを暗示しています。なにが「すごい元気」なのかは言うまでもないでしょう。

これまでは、若い女性から一方的に慕われている、という設定だったのが、ここから相互に性的行為を交わす関係になっています。

新セサミンがすごいと話題
「まるで20代のような上司…秘密は新しいセサミンでした」

なにが「まるで20代」で、なにが「すごい」のか、もはや言うまでもありません。これまでも「すごい」というキーワードはすでに登場していますが、すべて性的能力を暗示するものでした。

明記はされていませんが、ここでの主人公もこれまでと同じく「52歳 男性」で、この写真の部下も「26歳 女性」ということでしょう。52歳の男性でも、この食品を食べれば20代のような性的能力を身につけることができ、26歳の女性のお相手ができますよ、というメッセージを伝えているわけです。

52歳の男性が性欲を持とうと、それ自体はべつに構わないのです。ただ、オレとしては、娘と同世代の部下を性欲のはけ口とみる眼差しを問題にしたい。なぜなら、キモいから(笑)。

枕のニオイが、今までと違う…
自分の体臭に、変化を感じたら、そろそろニオイケアを。ニオイに敏感な周囲の女性に気づかれる前にケアを始めませんか?

いわゆる加齢臭を消すための商品の広告です。女性の存在を匂わせてはいるものの、匂いケアの商品としては、まあ普通の広告のように見えます。

が、覚悟してください。ここからだんだんキモくなっていきますよ(笑)。

お父さんのニオイが気になります…
仕事も肌も脂がのりだす働き盛り世代。ニオイに敏感な周囲の女性に気づかれる前にケアを始めませんか?
上司のニオイが気になります…
仕事も肌も脂がのりだす働き盛り世代。ニオイに敏感な周囲の女性に気づかれる前にケアを始めませんか?

この広告の主人公は「お父さん」なのか「上司」なのか、どっちなんでしょうね(笑)。これは広告のターゲットのオッサンが、だれに対して匂いをアピールしたいかによって、表現を使いわけてるわけです。

ここで分かることは、この一連の広告が、「部下」と「娘」とを同一カテゴリにくくって見ていることです。呼ばれかたが違っているだけで、年齢も、容姿も、匂いの気になるシチュエーションもまったく同じです。「部下」と「娘」の差がまったくと言っていいほどありません。

ということは、会社の部下を性欲の対象として見ていたように、自分の娘でさえ性欲の対象として見ることが可能である、ということです。

しかし、そうでないとしても、自分の娘に自分の匂いをアピールしたいオッサンって、もうその時点で非常にキモいんですが…(笑)。

ニオイで決まる!男の価値
実は、女性の9割は男性のニオイを気にしています。

「男の価値」とは、性的な魅力のことを表していますから、主人公はこの女性を性欲の対象として見ていることが分かります。

男性の匂いを気にしているという、この女性。これだけだと男性との関係が分かりませんね。いままで見てきたとおり、会社の部下なのでしょうか?

この女性の正体は、次の写真で分かります。

「お父さん、いいニオイ♪」
実は、女性の9割は男性のニオイを気にしています。

うぎゃああー!キモひぃぃ~~!

ついに真打ちが出てきました、パパ・シリーズ!!!

もぅ、勘弁して…。まぢキモぃ…(涙)。

男性の匂いを気にする女性といって引きあいに出すのが、なんで娘なんだよ!!(怒泣笑)

とくに3人目の女性は、高校生か大学生くらいにしか見えません。この女性の写真で、いくつかのパターンが作られてます。

すごい!パパのニオイが!

いやいやいや…。匂いが消えるだけなら、日常生活で娘に「すごい!」と言われるような状況になることはありえないでしょ!?

どうも、日常生活「以上」、娘「以上」のシチュエーションが想定されているように見えます。

「パパ、いいニオイ♪」
いいニオイのパパが好き!

下の写真、5人の女性(左列は同じひとっぽい)が、どれも高校生から大学生くらいに見えます。幼稚園や小学生ならともかく、そんな女性が「パパ、いいニオイ♪」「いいニオイのパパが好き!」というシチュエーションは想像できますか?

要するにサントリーウエルネスはですね、この女性たちがパパに抱きついて、くんくん匂いをかいで笑顔を見せている、そういう状況をほのめかしているわけですよ。

でも、普通の親子が、そういうことをしますかね!?

明らかに別のなにかを狙ってますよね!?(涙)

やだ、ホレちゃう…
実は、女性の9割は男性のニオイを気にしています。

とうとう、ここまで来てしまいました…(絶句)。

「ホレちゃう」だとよ…。モデルさんは、さっきまで「娘」役だった女性です。

「お父さん、いいニオイ♪」と言っていた女性が、お父さんに「ホレちゃう」んです。

これまで女性たちが「いいニオイ♪」と言っていたのは、娘が、お父さんに「ホレちゃう」までのストーリーを、1コマずつ断片的に見せられていたわけなんです。

オエエエーーーーーーwwwwwwwww

いやね、べつにお父さんにホレちゃう女性がいたって、ぜんぜん構わないんですよ。そういう好みだってアリだと思うし。

でもさあ、自分の娘を性的な眼差しで見つめ、自分の娘にホレられることを期待するオッサンの欲望がキモすぎ!!

「サントリー」ブランドを背負って、そんなキモい広告出すなよなー!!(泣怒)


関連ブログ

このほかにもいくつか見ていますが、とくにまとまった分量があり、読ませる内容のものはこのあたりですね。「俺のFUD広告~」は、オレもしらないパターンがたくさん網羅されていて面白かったです。あと、オレがこの記事を書くにあたって血眼で探していたのが、実は味の素でしたw


まあ、そういうわけで、サントリーウエルネスの広告はキモいし、できればこの世から消滅してほしいので、みんなと評価を共有したいと思って、キモさに耐えながらブログを書きました。

画像は以下のブログ等から頂戴しました。

2013/03/02

奥出雲町の町議はパンツの話をしていない

先月、話題になった奥出雲町のダビデ、ビーナス像の件ですが、この問題を提起した町議の塔村俊介さんは、昨年9月の町議会では、ダビデ像にパンツをはかせるという話は出ていないと書いています。

あたかも町や議会を二分してダビデにパンツをはかせたがっているとの報道から
始まったダビデの話ですが、
私も気になって、昨年9月議会での議事録をもう一度読み直してみました。
(略)
という内容でした。パンツばかりが注目されていますが、
パンツの話は出てきていませんし、別の議員が質問した中にもパンツの話は
なかったと確認しています。
http://ameblo.jp/tomuramura/entry-11475423040.html
また、塔村さんは町議会にこの問題を提起した理由について、以下のように述べています。
繰り返しになりますが、私の考える今回の本質は、場所について、
もう少し適当な場所があったのではないか、
1500万円を使うものならなおさら、事前に相談、チェックできるシステムが作れたのではないかということです。
奥出雲町は、景観行政団体にもなっています。
大きな構造物については、きちんと届け出て審議するシステム、
より少額なものに関しても議会の議決が必要な条例の改正を考えていかなければ
なと思います。
http://ameblo.jp/tomuramura/entry-11475423040.html

石像にパンツをはかせる、はかせないといった、くだらないゴシップと見なす風潮には、つよい抵抗感を感じます。

ものごとの本質をつかんで、理解する必要があります。

辞書では言葉の意味の「正解」は分からない

さて、前回の記事「汚名挽回」という言い方は間違っている、とする主張の根拠が分からない「汚名返上」の用例はゼロ、汚名は雪ぐものについてですが、前者がガジェット通信ニコニコニュースに転載されたことから新たな反応がありました。

もとは、はてなブログに掲載していた記事ですが、そこでもよく見られた反応について、ひとこと書いておこうと思います。

「辞書にそう書いてあるから、それが正しいんだ」という主張についてです。

結論からいえば、これがまったく正しくないのですが、なぜそのような主張が出てくるのかはよく分かります。つまり、辞書には言葉の意味の「正解」が書いてあるという思いこみがあるのです。この思いこみがどこから来ているのかといえば、それは同じような思いこみをしているひとに「辞書にそう書いてあるから、それが正しいんだ」と言われたからでしょう。

辞書が正しいと信じるひとがいるから、辞書は正しい。そのような思いこみをしたひとは、辞書の正しさを信じないひとに同じような言葉をぶつけて、思いこみが再生産されることになります。

こうした思いこみをするひとは、辞書がどのようにして編纂されているかを想像したことがないのです。どこかに言葉の意味の「正解」があって、編纂者はその「正解」を拾ってきて辞書に載せているだけだとお考えなのでしょう。

言葉の意味は、時代ととも変わります。おなじ時代でも、地域によって、状況によって、彼我の立場の違いによって、たえず変化していきます。ときと場所によって千変万化しつづける言葉というものに、絶対不変の「正解」がないことは自明とさえ言えるでしょう。

それでは、辞書の編纂者は、どのようにして言葉の意味を辞書に落としこんでいくのか。かれらが恣意的にときと場所を切りとって、それを「正解」だと決めつけているのでしょうか。そんなことはありません。

すべては、用例です。

その言葉が、どの時代、どの地域、どのような状況で、どのような意味合いで使われてるのか、過去にその言葉が用いられた数多くの事実を網羅的に収拾し、そこでの言葉の使われかたに共通する意味合いを切りだし、それを代表的な意味として辞書に載せるのです。

そこに載せられた意味は、さまざまな状況におけるその言葉の使われかたに共通する代表的な意味を切りだしたものですから、とうぜん、すべての意味を包含しつくしてはいません。また、ときにはある状況においては、実際の使われかたとは矛盾する語釈もあります。

たとえば、現代の言葉で「しかる」とはどのような意味があるのでしょうか。現代の多くのひとは「おこる」と同じ意味と認識しているでしょう。あるいは、「おこる」のは感情の発露であり、「しかる」のは論理をもって諭すことだ、と考えるひともいるでしょう。

過去の用例を調べましょう。すこし高級な辞書であれば、用例を明記しています。『大辞林』では次のように説きます。

[1] (目下の者に対して)相手のよくない言動をとがめて、強い態度で責める。
子供のいたずらを―・る

[2] 怒る。
猪のししといふものの、腹立ち―・りたるはいと恐ろしきものなり〔出典: 宇治拾遺 10〕

[3] 陰で悪口を言う。
あのやうなしわい人はあるまいと申して、皆―・りまする〔出典: 狂言・素襖落(虎寛本)〕

どうでしょう、ご想像とはちがった語釈が目についたのではないでしょうか。

[1]は現代語における「しかる」の代表的な語釈です。よく使いなれた用法だと思いますが、オレは個人的に「目下の者に対して」と条件がついていることに、はっとさせられるところがありました。たしかに目上の者に対して「おこる」ことはあっても、「しかる」ことはなさそうです。

[2]はどうでしょう。『大辞林』の語釈は「怒る」ことだとしていますが、出典を見ると、どうも現代語の「怒る」と置きかえが可能な用法ではないように見えます。「しかる=おこる」と安易にイコールで結びつけることが、ためらわれるような感じがします。

[3]にいたっては、もう明らかに現代語の解釈が通用しません。「そしる」という意味合いで使われているようです。

さて、ここで問題なのは、辞書の編纂者は[1]~[3]の語釈をどこから、どのようにして導きだしたのか、ということです。どこかに他の先行辞書があって、その辞書に「狂言『素襖落』の「しかる」というのは「そしる」という意味だよ」と書いてあって、そこから孫引きした…というわけでもないでしょう。

辞書の編纂者は、このように実際に使われている事例(用例)をたくさん集めて、そこではどのような意味で使われているかを検討し、それを辞書に載せているのです。

辞書に言葉の意味の「正解」が載っていて、ひとびとが辞書を見て「正解」の言葉を使っているのではなく、まったく正反対で、ひとびとが使っている言葉を、辞書の編纂者があつめて、それらはそれぞれの場面でどのような意味で使われているのだろうかと考え、おそらくこういう意味なのだろうという判断の過程をへて初めて、辞書に掲載しているのです。

ですから、理解のしかたが正反対なのです。

まず、用例があり、それから辞書ができるのです。

ということは、言葉の正しい意味をしるためには、辞書をなんど引いてもあまり意味がなく、まずまっさきに用例を調べるべきだということが分かります。

ひとむかし前なら、よほどの国語学者でなければ、過去の膨大な用例を調べるすべがなかったのですが、いまはインターネットがあり、電子化されたテキスト群があります。オレのような一般人でも『青空文庫』の用例を調べることは簡単にできます。

われわれが当たり前だと思っていることが、近現代の文学者にとっては案外にそうでもないことが分かったりするので、用例をチェックすることは楽しいと思います。機会があったら、ぜひともお試しください。